「命を守る」パンのお話
世界中を美味しいパンで笑顔にしたい

そもそもパンは主食として欠かせないものですが、保存食ではありませんし、いままで備蓄用非常食として考えも及ばず、実際に製品もありませんでした。特にパンの持つふわふわで柔らかい食感は大きな魅力ですが、そのことと保存食という条件には大きな隔たりがあり、乾パン以外にパンと名のつく保存食はなかったのです。ここにパンの缶詰を開発した秋元義彦さんの熱い思いと物語が隠されています。ではそのあらすじをダイジェストでご紹介します。

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神戸淡路大震災で味わった悔しさ

「被災地にパンを届けたい」。秋元義彦さんとお父さんの健二さんが純粋にそう思ったのは、「阪神淡路大震災」のニュースをTVで見て、被災地の様子を知ったときでした。被災地に「自分たちにできることは何かないか」、「そうだ、パンを焼いて届けよう」。トラックにパンをいっぱい積んで、苦労の末被災地に届けましたが、混乱のなかでいきわたったのは一部の人だけでした。やはり日持ちのするものではないので、大半のパンはダメになり、残念ではありましたが、その思いを十分に果たすことはできませんでした。

この悔しい経験と、さらに被災地からの保存のきくパンへの要望も再三再四あって、最終的には誰も成し得なかった、非常食として保存のきくパン、しかも「ふわふわ」で「柔らかくて」そして「美味しい」パンづくに向かうことになりました。

ここからの試行錯誤の苦労は想像に難くはないのですが、秋元さんは自分の人生をかけて、「保存のきく美味しいパン」の開発に本気で挑むことになったのです。

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トライ&エラーの日々

開発に取りかかると思ったのはいいが、実際、小さな町のパン屋さんができること知れています。それでも昼間は秋元パンとして営業を続けながら、夜になると工場長とトライ&エラーの日々を重ねました。

まず、焼いたパンをビニールに入れ真空パックを試しました。しかし、一旦空気を抜いてペチャンコになったパンは、開封してもふっくらと元には戻りませんでした。次に保存食ということで、ふとしたことから思いついたのが缶詰です。さっそく焼いたパンを缶詰にしてみました。これを1週間後に開けてみたら、今度は無残にもすっかりカビに覆われたパンが現れました。缶詰の知識もないままでは仕方がありません。本来容器である缶も中の食品も殺菌しなければ安全に保存することはできません。

一般的にはレトルト殺菌という加熱による殺菌で、缶に何十分という加熱する方法があります。しかし、これは試す前にだめだろうと結論はでていました。なぜならパンは焼いてつくられた後、もう一度熱を加え、これが冷めてしまうと、およそパンとしての美味しさを失い価値がなくなります。やはり「おいしいパン」、「保存のきくおいしいパン」。この条件は絶対です。

すると次に、パンの焼きと缶の殺菌が同時にできるようにと、パン生地を直接缶に詰め、そのまま熱を加え焼き上げたら、うまくいくのではないかとひらめきました。アイデアは悪くなかったが、今度はパンが缶にくっついたのです。それではと次に紙を缶との間に入れたが、今度は冷めて熱が奪われるときに水分がでて、パンがふやけてよくなかった。ならばと次に水分をよく吸う紙として和紙に行き当たる。これは友人から障子紙が日本家屋の湿度調整に欠かせなかった話をきいたことがヒントになりました。さっそく試してみると水は確かに吸いますが、残念なことに和紙自体は濡れると弱いことが分かりこれもだめでした。それでもあきらめ切れずに、和紙の種類を和紙メーカにあたっては無理だと言われる日々。この時期、頭の中は合言葉のように常に「和紙のような性質で濡れても熱にも強い紙」でいっぱいになりました。

しかし、その執念がついに報われる時はやってきました。ここでは詳しくは説明できませんが、洋紙であの条件をクリアできる紙を見つけることができ、課題解決へ大きく前進した瞬間でした。

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缶の中の酸素をなくせ

それでもまだ次の課題は待ってはくれません。缶に詰めた状態のパンでも空気が少し入ります。空気には当然のごとく食品の大敵である酸素があり、これを完全に取り除かなければ、おいしさはもちろん、食品を傷め長期保存はできません。そこで最後のアイデアとして浮かんだのが、「脱酸素剤」を入れること。これは蓋をした後、缶にある空気のなかの酸素をすっかり吸ってくれ、かつ食品の美味しさと安全性と保存性を維持できる「無酸素状態」をつくることでした。するとアイデアは功を奏し、焼き上がったパンのまま防腐剤も使わず美味しさを維持することが確認されました。

ここまでほぼ1年半、悔しかった阪神淡路大震災から無我夢中で辿り着いたのがここに出来上がった最初の「パンの缶詰」でした。みんなは親しみを込めて「パン缶」と呼びはじめてくれました。

ありそうでなかった「パンの缶詰」はここがやっとスタートでした。再び数々の改良を重ね、今では3年まで保存期間を延ばし、美味しさも工夫しながら現在に至っています。まだまだゴールではありません。さらなる改良は現在進行形です。

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賞味期限間近のパンはどうする?

さて、もうひとつ、このパンの缶詰が大きな役割を果たすアイデアが生まれました。それは、こんな課題が浮かび上がった場面からはじまりました。

災害時の非常食であるパンの缶詰には賞味期限があります。すると、災害もなく備蓄していたパンが期限を迎えるとその処理を考えなければなりません。実際、秋元さんはパンを納入していたある役所から、「パンの缶詰の賞味期限が近いので、新しい缶詰と入れたいので、今のものを処分してほしい」というものでした。処分という言葉にも心が痛みましたが、役所のほうもどうしていいか困っていたのでしょう。

また廃棄物として処分するとしたら、当然産業廃棄物として別の経費が必要になるいという問題もあります。

どちらにしても、食べるためにつくったものを棄てて無駄にしてしまうこと、それにお金の問題は大きな壁として立ち塞がりました。

しかし、パン自体は3年の賞味期限が来ても、すぐには味が落ちるとか、食べてはいけない状態になることはありませんので、当然棄てることには大きな抵抗感があります。では、この賞味期限がきたパンの缶詰をどうすれば良いのか、この無駄をなくし、かつパンも確実に食べてもらえるようにするには……。

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食べてもらうことを全うさせる

後にこの大きな壁を乗り越えられたのは、秋元さんが気付いた、「食べ物である以上、やはり人に食べてもらう」ということ。「食べてもらうことを全うさせる」アイデアでした。

それはある海外の災害地域へ食糧援助として急きょ「パン缶詰」を送ったことがヒントになりました。「そうか、保存用の『パンの缶詰』の賞味期限がまだすこし残っているうちに引き取って、それを他で必要とする被災地や食糧難の地域に送ってあげれば、すぐにでも食べてもらえて、多くの人を救うことができるのではないか」。まさにここから生まれたのが「救缶鳥」プロジェクトでした。

つまり、災害時にまず非常食としてこのパンが命を守る役目があり、そのときに柔らかく美味しいパンで笑顔をつくれたら。これが最初の「命を守る」。そして、まだ保存期間がすこし残るうちに、それを食糧難や飢餓に苦しむ世界の地域に送ることで、さらに「命を守る」ことができる。この善意のアイデアこそが「救缶鳥プロジェクト」で、多くの笑顔をつくれる可能性を秘めています。これが、「パンの缶詰」を開発した一番の喜びであり、これからもパンづくりに精進していく秋元さんの源泉になっています。

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ひとつの社会貢献の形に

災害用のパンを購入してくださり、賞味期限内にそれを食糧難地域支援のために提供してくださる取り組み自体が、CSRの観点から、また社会貢献活動への取り組みの上でも、智慧と気持ちの生きた無駄のない素晴らしいプロジェクトへの参画ではないでしょうか。

災害時非常食である「パン缶」を画期的な商品であるとした由縁は、純粋で温かい想いから出発し、その価値をさらに探ることによって、誰もが笑顔になれる可能性をどんどん広げていることです。「命を守り」、さらに「笑顔をつくりたい」。とてもシンプルな言葉ですが、その難しさに挑んでいる実直な想いが常に息づいています。

この主旨と情熱は現在まで、国内で14万個以上、海外で21万個以上の実績を残し、ますますその取り組みへの賛同の輪は広がりをみせています。これがひとつの社会貢献の形になれば素晴らしいのではないでしょうか。